2.稀神大社の考える純愛ゲーと最近言われている純愛ゲー
わたし個人が1で記述した「純愛ゲー」全てを好むのかと言われたら、決してそんなことはありません。
そもそも純愛ってあによって感じですが、
純愛とは、邪心のない、ひたむきな愛。純愛の定義としては、他に「その人のためなら自分の命を犠牲にしてもかまわないというような愛」「肉体関係を伴わない愛(プラトニック・ラブ)」「見返りを求めない愛(無償の愛)」などがある。(wikipedia)
純粋な愛情。特に、男女間のひたむきな愛情。(大辞泉)
純粋な愛情。利害を考えない、ひたむきな愛。(日本国語大辞典)
※ひたむき(直向き)
一つの物事だけに心を向けているさま。忍耐強く、いちずに打ち込むさま。(大辞泉)
らしいです。先ほどの結論からは純愛ゲーとは「純愛描写を含んでいれば」全て純愛ゲーと呼べてしまいますが、多分世間的に純愛ゲーと言われるからには「純愛描写に特化」している必要があるでしょう。定義と望むものは違うんですね。で、わたしは最近こう思っています。
ユーザーの求める純愛の純が純粋から純潔に変わってきているのではないか、と。
じゅん‐すい 【純粋】
[名・形動]
1 まじりけのないこと。雑多なものがまじっていないこと。また、そのさま。
2 邪念や私欲のないこと。気持ちに打算や掛け引きのないこと。また、そのさま。
3 そのことだけをいちずに行うこと。ひたむきなこと。また、そのさま。
4 哲学で、外的、偶然的なものを含まず、それ自体の内的な普遍性・必然性をさす。
5 学問で、応用を考えず理論だけを追究する分野。純粋数学・純粋法学など。
ここでは2-3ですね。邪念や私欲がなく(お金目的とかじゃなく)相手が好き、というものは純愛ゲーと呼べそうです。でもこれだけだと下級生2みたいに叩かれますよね。じゃあ今のエロゲーにおける純愛ゲーの純って何である必要があるのかといえばこれです。
じゅん‐けつ 【純潔】
[名・形動]
1 けがれがなく心が清らかなこと。また、そのさま。「―な精神」
2 異性との性的なまじわりがなく心身が清らかなこと。「―を守る」
処女厨って言われる類ですね。凌辱と純愛が対義語ってスタンスやヒロインが処女でないと叩かれる理由はこの「純粋な愛情」の略称である純愛の考え方が、「純潔な愛情(及び体)」であるからなのかなあ、と思います。「身体は汚れてしまったけれど心はあなたを愛しているわ」みたいな展開が受けなかったり以前彼氏がいたとかそういう描写があると叩かれたりするのはこれを求めている人が増えているから? と。
場合分けをするために純愛ゲーを純粋ゲーと純潔ゲーと呼ばせていただきます。
鬼畜と凌辱の間柄(凌辱ゲーという集合の中に鬼畜ゲーがある)と同様に、純粋ゲーの中に純潔ゲーがあったわけですよね。あくまで一ジャンルだったわけです。しかしながら鬼畜凌辱の関係とは真逆の動きを見せるわけです。鬼畜が拡大されて凌辱というジャンルになったのに対して、純愛という定義が純粋から純潔に縮小されて今日に至っているのです。
恋愛ジャンルで純潔ものが流行るのは当たり前といえます。間違ってはいません。古くは坂田山心中事件を題材にした「天国に結ぶ恋」に見られます。
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※坂田山心中事件(wikipedia)
1932年5月9日午前10時、地元の青年が岩崎家所有の松林の中で若い男女の心中死体を発見した。男性は慶應義塾大学の制服姿で、女性は錦紗の和服姿の美人であった。前日の5月8日夜に現場に到着、昇汞水を飲んで服毒自殺を図ったものと思われた。
高貴な身なりであったため、神奈川県警察部は直ちに捜査を開始し、まもなく身元が判明した。男性は東京府出身の慶應義塾大学の学生で、某華族の親族であった。女性は静岡県出身で、2年前まで頌栄高等女学校(現在の頌栄女子学院中学校・高等学校)に通学していた。
二人はキリスト教の祈祷会で知り合い、交際を始めた。男性の両親は交際に賛成していたが、女性の両親は反対し、別の縁談を進めようとしていた。そのため二人は家から出て、「永遠の愛」を誓って心中を決行したものと思われた。
二人の死体は、遺族が引き取りに来るまで、町内の寺に仮埋葬されることになった。
坂田山心中事件を象徴する見出しを出した東京日日新聞(1932年5月13日)記事には、二人は多磨霊園に永遠に葬られることになったと報じている。
翌日5月10日朝、寺の職員が線香をあげようとしたところ、女性を葬った土饅頭が低くなっているのを発見、掘り起こしたところ、女性の死体が消えていることが判明した。辺りには女性が身に付けていた衣服が散乱していた。これにより、単なる心中事件から一転して「女性の死体が持ち去られる」猟奇事件へと発展した。
警察は変質者による犯行と断定し、大磯町の消防組も協力して一斉捜索が行われた。翌日5月11日朝、墓地から300m離れた海岸の船小屋の砂地から発見された。後に町の火葬場職員が犯人として逮捕された。
警察は女性の死体の検死を行い、「死体はなんら傷つけられていなかった」と発表した。この発表により、新聞各紙は二人がプラトニック・ラブを貫いて心中したことを盛んに報じた。特に東京日日新聞は「純潔の香高く 天国に結ぶ恋」の見出しを掲載した。
この「天国に結ぶ恋」は坂田山心中を象徴する名文句となり、後に同名の映画や歌が製作されることになった。
また、この映画や歌の影響で坂田山を心中の場とする者が後を絶たず、1935年(昭和10年)までの自殺者(未遂も含む)は約200人にものぼった。
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が、これは恋愛もの(純愛もの)の一ジャンルとして流行ったのであってこれをもってして純愛ものと呼ぶわけではありません。また、プラトニック・ラブという語は精神的な愛情という意味であって処女云々の話はされません(処女であることを前提としているからだと思いますが)。
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※プラトニック・ラブ(wikipedia)
プラトニック・ラブとは、肉体的な欲求を離れた、精神的な愛のことである。かつては、好き合った男女同士でも結婚までは純潔を保つべきである、として結婚までは精神的な愛を理想と考える向きが強かった。そのため、それをプラトニックと呼んだが、現在においては本質的ではなく、死語と化している。
日本のプラトニックラブ
北村透谷は「悲しくも我が文学の祖先は、処女の純潔を尊とむことを知らず」と遊里を賛美するような江戸文芸の低俗さを嘆いた(『処女の純潔を論ず』1892年)。
しかし、古来農村部には夜這いの風習があり、特に処女が尊重されることはなかった。近代日本の処女崇拝は、武士階級固有の武士道的な倫理(貞女二夫にまみえず)に、キリスト教的倫理が結合したところに成立した観念的な思想であったといえる。
現代では性愛と恋愛感情を不可分のものとするロマンチック・ラブ及び婚前交渉が一般化している。
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エロゲーに関しては、此処に言う処女崇拝的な内容である作品が受け、メーカーがそれに対して同テーマの作品しか出さなくなったため、極端なジャンル分けが為され「純愛ゲー」と枠組みはこれら純潔的内容のものにのみあてはめられ、それに漏れると「凌辱ゲー」や「抜きゲー」と呼ばれるか叩かれるかになっているのだと思います。
以前からそれはありましたが、処女独占と言われるタイプの人が増えているのは、それしか知らないから(それだけを純愛ゲーとしてメーカーが出すから)ではないかなあ、と思った次第です。
さて、では稀神大社はどのような作品を評価するのかと言えば、『甘々最高、しかしその理由ががはっきりしていて納得できる作品』を評価する傾向にあります。愛情が深いならその深さに見合った理由を。もちろんシナリオ内容も重要ですが、きちんと恋愛をしていなければいけませんよね。なんでこのキャラは主人公のことがこんなに好きなんだろう。その理由が明確できちんとしていて納得できればできるほど、わたしはその作品を好む傾向にあります。もちろん例外はありますし、無償の愛に浸りたいときもあるので一定ではありません(だってToHeart2好きですし!)が、一応そのようにお考えください。
参考
処女の純潔を論ず(北村透谷)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000157/files/45241_19756.html
平成24年02月10日 まれびと